─成功の仕方について─

僕は、最近はイラストにも感心を持ち始めた。

小説との両者に共通するものはやはり「創作」であるということだ。

僕はどうやら相当この「創作」という言葉に魅了されているらしい。

だが、道の先は見えない。 導いてくれる者もいないし、求める勇気もない。

だから僕はいつも一人で挫折し続けてきた。 未だに成功の仕方が分からないから、がむしゃらに突き進むことしか僕にはできない。

そうだ。 がむしゃらに突き進めばいいんだ。

進めば道は見えてくるのだろうか。 道は開けるのだろうか。

分からない。 だが、突き進むことに意味はあるはずだ。 きっと。

そう思う自分を信じたい。 自分を信じられなくなればそれは終わりを意味する。

今、自分に足りないものを考え、どうすればそれを補えるのかを考える。

何も持っていない僕は、基本を押さえることから始めようと思う。

あとは、行動に移すだけだ。

─時をかける少女─

「 ガーネット 作詞・作曲・唄 奥 華子 」

グラウンド駆けてくあなたの背中は
空に浮かんだ雲よりも自由で
ノートに並んだ四角い文字さえ
すべてを照らす光に見えた

好きという気持ちが分からなくて
二度とは戻らないこの時間が
その意味をあたしに教えてくれた

あなたと過ごした日々を この胸に焼き付けよう
思い出さなくても大丈夫なように
いつか他の誰かを好きになったとしても
あなたはずっと特別で 大切で
またこの季節が めぐってく

はじめて二人で話した放課後
誰もしらない笑顔探していた
遠くであなたのはしゃいでる声に
なぜだか胸が痛くなったの

変わってゆく事を怖がってたの
ずっと友達のままいれる気がした
終わってく物など無いと思った

果てしない時間(とき)の中で あなたと出会えた事が
何よりもあたしを強くしてくれたね
夢中でかける明日に辿り着いたとしても
あなたはずっと特別で 大切で
またこの季節が やってくる

いつまでも忘れないと あなたが言ってくれた夏
時間が流れ 今頃あたしは涙がこぼれてきた

あなたと過ごした日々を この胸に焼き付けよう
思い出さなくても大丈夫なように
いつか他の誰かを好きになったとしても
あなたはずっと特別で 大切で
またこの季節が めぐってく


時をかける少女」の主題歌だそうです。
登場人物達の年齢設定が高校生なので、その物語の主題歌であるこの歌には同じ高校生として共感を抱きました。
変わっていく事なんてないと信じたい。
いつまでも友達だと信じたい。

この話を、今度DVDを借りてきて観てみようと思う。
本編を見た後に、僕がどう思っているのか、今とどんな風に違うのか、今から楽しみだ。

─『自分の為に頑張る』ということについて─

僕にとって『自分の為に頑張る』ということは『他人に褒めてもらう』ことと直結する。
他人の目が気になるからやっているだけで、そもそも今の自分は庇護者なのだから、全ては他人によって決められる。
自分が決めたことだと言い張っても、それは他人による土台の元に成り立っているものなのだ。
今の僕は、全てを握られているだけで、それは人形と変わりないのではないだろうか。

─趣味について─

自分自身の『やりたいこと』と『していること』が矛盾する自分に嫌になることがある。
自分が『やりたいこと』は、将来に繋がることだ。
自分が『していること』は、今を楽しむだけだ。
長い人生を考えてみたら、頭の中で思っている『やりたいこと』を今するべきなのだろうが、如何せん楽に走ってしまう自分がいる。
そして『やりたいこと』が出来ていない自分は、それが本当に『やりたいこと』なのかどうかも疑わしくなってくる。
また、それを認めることが出来ない自分がいて、それはまだまだ自分は未熟だからなのだろうか、と考えてしまう。
『俺は出来る人間だ』 そう思うことは、いけないことなのだろうか。

─身の回りについて─

僕は比較的周囲の環境に恵まれている方だと思う。
学校の成績で結果さえ出せていれば、好きな事をしてても咎められない。
友人関係はもっぱら男友人ばかりで、女子とも普通に会話はするのだが、業務以外でメールするほどの仲の女子の友人はいない。
クラスでは明るく振る舞っているつもりだ。 特に確執が生じているクラスメイトはいないし、ほとんどの友人とは付かず離れず、といった関係で、その中でも仲の良い友人は5,6人といったところか。
学校でのクラブ活動が存在しないので、どうしてもクラスメイト以外の生徒との交流の機会が薄れてしまう。 実際に、クラスを出ると去年同じクラスだった者以外とはほとんど話さない。
中学校の頃までは、話したことのない生徒などいなかったのに、高校に上がると急に学校人口の規模が広がったので、名前すら知らない生徒が数多く存在する。
それでも、狭い範囲でも一定の友人がいれば、僕は割と一人でいるのが好きな性分なので、苦にはならない。
雰囲気としては、高校に入った途端に、一般社会の他人との関係を見たようだ。 周りのほとんどが知らない人物で、すれ違っても素通りする。
稀にそうでない人もいるが、僕はそういった特別な性質は持ち合わせていない一般的高校生なので、そう感じた。
勉強に追い込まれて若干ストレスを感じることもある(それでリストカットをする女子の友人もいる)が、あと一年というのと、友人が学校にいるということが励みになって衝動を抑止できている。
でも、実際のところ、僕は「友人」と呼べる人達に心から何かを打ち明ける、ということはできないと思う。
友人にも一定の線が引いてあり、そこからは踏み込ませない。 僕はその奥でひっそりと自分だけの秘密を感じる。
そのくせ、他人の一線は相手が強く拒まない限り、遠慮はせずに踏み込んでいく。 僕はそういう自分勝手な人間だ。
僕みたいなのが社会にありふれているのだろう。 表面だけいい格好して、根は自分勝手で、欲の塊で、自分が良ければそれでいい。 他人のことなんか二の次だ。
そういう人間が今の社会を横行している。 そして、僕もその中の一人だ。
僕みたいな人間はどうしてそういう悪い面を直そうとしないのだろうか。
おそらく表では良い人ぶっているから、誰にも咎められない。 咎められないと、また調子に乗って悪い面を発揮する。 それの繰り返しなんだろう。
たとえ、たまたま悪い面が表に出てしまったとしても、社会の人間は他人なんかどうでもいいので、そのほとんどが何も咎めない。 だからまた調子に乗る。
そういった悪循環が続いているのだろう。
叱ってくれる人をただ待っているなんて、赤ん坊みたいな僕たちだが、その通り。 僕たちは赤ん坊と何も変わらない。
ただ待っているだけなのだ、叱ってくれる人を。 
何もせずに、ただ待っているだけなのだ。

─悩みについて─

僕の頭を悩ませるものは逐一数え上げれば星の数ほどあるのだろうが、高校生になってからずっと頭の中に浮かんでいるのは「大学受験」という悩みだ。
今通っている高校は一応進学校の体裁を保っていて、僕自身としても特に学びたいものは無くとも、「皆が行くから」というただそれだけの理由で大学進学を表向きは志望している。
本当は、特に学びたいものなんてない。 周りに流されて生きている、ただそれだけ。
流れに逆らって生きていくというのは本当に大変なことなんだろう。
しかし僕はそれを強く、しかし何となく希望している。 
周りなんて少しも見えていないのに、それでも先人達の輝かしい結果だけを見て、空しい希望に浸っている。 
もし僕が本当に人生の流れに逆らって生きていくとすれば、僕はその過程に耐えられるだろうか? 「耐える」という表現を使っている時点で僕は失格かもしれない。 僕には何も、本当に何も分からない。
「大学受験(人生への従い)」と「人生への逆らい」との間を葛藤して過ごし、本当に僕は人生に逆らっているのだろうか、逆らいたいのだろうか、自分のしたいことが段々と分からなくなってくる。
楽をしたくて我慢できなくなってくる、惰性に過ごしたくなってくる。
それでも僕は強く、しかし何となく、人生に逆らって生きてみたいと思う。
僕には、誰も、何も、何処も、見えない。

─夢について─

僕には今、興味を示しているものがある。
それは「小説を書く」ということだ。

中学校の卒業と高校の入学を間近に迎えたある日のこと、手持ち無沙汰だった僕は地元(自転車で30分ほど)の書店へ向かっていた。
普段は本屋に行く機会なんて滅多に無かったので、その日の僕は何を思っていたのだろうか。 今では確信を持って知る術はない。
とにかく、僕はその書店へ向かった。 その書店は地元ではかなり大きな書店だった。
今でもそうなのだが、僕は本屋へ入ると何故か心が躍るような気分になる。
僕は特別本が好きというわけでもないし、本を読む時間を優先するような人でもない。
だが、本屋に入るとそこには当然ながらたくさんの書籍が置いてあり、その種類は様々なものがある。 その空間上に本がぎっしりと詰まっていることが僕の心を掻き立てる。 僕はその空間にある本の全てを自分の知識として吸収できたら、どんなに博識になれるだろうか。 どんなに素晴らしい文章が書けるだろうか。 そんな突拍子もないことを考えながら、僕は本を眺めている。
当時の僕はきっと何気ない気持ちで店内を歩き回っていたのだろう。 
漫画や雑誌を一通り見終わって、たまたま小説のコーナーを通りかかった。
そこでふと目に入ったのが、「ライトノベル」という名の小説のジャンルだった。 表紙にはアニメチックなイラストが描かれ、一瞬漫画かと見間違えてしまうほどだった。
僕はたまにこうしてインターネットで遊んでいるのだが、ネットでもアニメ化や漫画化された人気の作品は見かけることがある。
僕はそこで「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品を見かけてふと立ち止まった。
この作品は当時にも幾度と無くネットで見かけてきた作品だったからだ。
その一冊の文庫本を手に取り、パラパラとめくってみる。 当時の僕は本当に何もすることが無く─だからその本屋に行っていたのだが─、
「たまには本の一冊くらい読んでみるか」 とそんな軽い気持ちでその本をレジまで持って行ったのを覚えている。 本当に何気ない出会いだった。
しかし、その本を読んで、小説とはこんなにも技巧が凝らされているものだったのか、と感心した。 巧みな文章表現はもちろんのこと、それによって描かれた世界や魅力的なキャラクター達、追々続編を読んでいく内に分かったのだが、各作品内に散りばめられた数々の複線。
僕は「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品に魅了された。 また自分でも小説を書いてみたいと思うようにもなった。 その為には色々な作品を知らなくてはならないと思い、読まない小説も読むようになった。 この作品で僕の人生は大きく傾いだと思う。



前々から創作に関わりたいとは思っていた。
中学生の頃、僕は漫画家になりたいと思っていた。 これもまた作品に魅了されたからなのだが、しかし途中で挫折した。 絵はプロのトレースもしたし、暇な時にはずっと絵を描いていた。 でもその内に完成した作品の裏に隠れる多大な労力の前に押し潰されるようになり、僕は漫画家になることを諦めた。
だが今また、「小説」という、形は異なれど、創作してみたいという気持ちになれた。 それはきっと、僕自身が創作によって大きく心を揺らされた人間だからだと思う。 
創作は素晴らしい。 僕自身がそう思うのだから、という単純な理由だが、それがきっと夢を見つける為の第一歩だと思う。
思えばいい、感じればいい。 その通りに動けばいい。
僕はずっとそうして生きてきたし、これからもそうして生きていくつもりだ。
こうして今「小説を書きたい」と思えた気持ちを大切にして、自分の思うことに従って。
そうして夢を叶えれたなら、それはとても素敵なことだと思うから。